広告がなくなる日|書評|牧野圭太

夜景

広告がなくなる日

広告ってなんだと思いますか?

今年に入り、約30冊は本を読んできましたが、「広告がなくなる日」この本は今年1でした。

著者の考察が深く、思考がクリエイティブ。クリエイティブなんて言葉、普段小っ恥ずかしくて使わないんですが、クリエイティブってこのことか!と感じさせられました。

私の凝り固まった脳みそを直接さわやかミントのシャンプーでクレンジングしてもらったような感覚です。

読後も知的興奮がなかなか冷めません。

現代における広告

広告って一体なんだと思いますか?

まだ知られていない、すばらしい機能や品質を備えた商品を宣伝することでしょうか?

現代、私たちの周りにはものが溢れ、IT普及により便利なものやサービスはコピーも簡単な時代になリました。特に生活する中で、不便に思うことはないのでは無いでしょうか。むしろ過剰な機能を備えた商品まで登場してきていますよね。

私たちは、「物理的な豊かさ」を手にし、実際は「経済成長」という「大きな物語」を失っています。

課題もなければ、答えがない、意味のない時代。「どうやら懸命に働き続けても、人々は幸せになれるわけではない」ことに多くの人が気づきはじめています。

だとすると、「スペックや新規性」で勝負できないサービスを、「広告の力」で売ろうとしているのでしょうか。

広告は、7兆円という巨大産業であるにもかかわらず「新たに問題を生み出すことで、(ビジネスの)ゲーム終了を先延ばしする仕事」と言う指摘がされています。

広告に真の価値はあるのでしょうか。

広告

SNSインフラの確立

SNSのインフラ確立により、「良いのも」「面白いもの」「応援したいもの」については、みんなが勝手に広めてくれる時代になりました。

「 SNSなんてまだまだ限定的なメディアじゃないか」と言う声も聞こえてきそうです。

もちろんマスメディアに比べたらもちろん限定的なメディアです。ただすごい勢いで影響力を増してきている事は事実。

SNS投稿が着火点となり、SNS上で話題になる。それからウェブニュースで取り上げられ、「SNSで話題」がテレビ ニュースになる。と言う現象が日常的に起こるようになりました。

SNSインフラの確立は、「ユーザーがメディアになることを実現する社会」の到来でもあります。商品を買って、使ってくれた人、見てくれた人がシェアし広めてくれる世界です。実際にユーザーによる口コミ、レビューを参考にする人も多くいると思います。

ユーザこそが最強のメディアとなり、媒体を購入して広告をする必要は少なくなってきています。

あ、そういえば最近TikTokでこんなの見つけました。

「#私のポカリCM」で7千万近く再生。大塚製薬さんユーザーの引き込み方秀逸!!

ブランドパーパス(存在意義)

現在は、物質的な豊かさがある程度達成された社会です。その結果人々の暮らしにおける課題はもうほとんど残っていません。

役に立つではなく、意味のある仕事を作り出していく必要があります。それは物質的な豊かさではなく精神的な豊かさを問い続けることです。

例えば、危機的な地球環境問題へのアプローチ、人種差別、貧困問題、ジェンダー平等といったような社会課題を解決することに力を注ぐことです。

3つ例を見てみましょう。

パタゴニア

ある時ファッションブランドの「パタゴニア」が、 ニューヨーク・タイムズ紙に

「DON’T BUY THIS JACKET」という新聞広告を掲載しました。

「 このジャケットは買わないで」 というキャッチコピーの広告に、自社のジャケットの写真を掲載しています。

意図は、「環境への悪影響を削減するためには、環境により配慮し及ぼす害のより少ない方法で製品を製造するだけでなく、私たち全員が消費を減らさなければなりません。だからこそ、よく考えて購買してほしい」と言うものでした。

パタゴニアのビジョンは「私たちは故郷である地球を救うためにビジネスを営む」このようなパーパスに共感するファンに今もパタゴニアは支えられています。

オリオンビール

オリオンビールは売り上げの4割を占めていた、アルコール度数9%のストロング系チューハイの生産を停止しました。アルコール依存症の人が増え社会問題化していることを知り、拭い切れない罪悪感が理由であったとのことです。

「人を、場を、世界を、笑顔に」というミッションを遂行するためには、作りたいものを作るのと同じくらい、作るべきでないものを作らないと言う姿勢も必要だったのだと思います。オリオンビールのブランド アクションはきっと多くの人々に勇気を与えるものだったのだろうと想像します。

吉野家

吉野家は、災害時等に移動販売車「オレンジドリーム号」が出動し牛丼などを提供しています。

阪神淡路大震災の時、

「真っ暗になった街で、避難所の配る弁当をもらって暮らす中、初めて炊き出しに帰ってきてくれたのが吉野家だった」というSNSの投稿が75,000「いいね」されており、こういった社会的に意味のある企業活動がきちんと広まるようになっています。

「食に携わる者として食事に困っているときにはお役に立ちたい」と言う広報の言葉通り、決して広告として行っている取り組みではありませんが、社会的に何ができるかと言う真摯な取り組みが、勝手に広告としても機能する。そういう社会になりつつあります。

これからの広告

「 広告的技術をインストールしたプロダクトへ」

今まで広告はプロダクトができた後にこれをじゃあどう売ろうかと考えていました。

上記の例のように 広告は、ペーパーや画像映像に限ったものではありません。

多くの企業では商品開発と広告宣伝等が別の部署であることが多いけど、広告的術をもっと商品やサービス、製品サービスに付加していく、制作過程から広告が関わっていくことが必要です。

「 広告は、 生活者やファンが求めるプレゼントへ」

古き広告のような「メッセージの押し付け」ではなく、生活者やファンが求めるものを追求し、プレゼントしていくと言うアクション。

寄付のような構造もその一つかもしれません。ユーザーは「自分が買いたいもの」かつ「 自分が貢献したいコミュニティー」を選んで購買していく。そんな流れが生まれてくるであろうと思います。

「広告は、 メッセージだけではない行動主義へ」

広告は、 ブランドパーパスに従い、口だけにならないよう行動することが必要です。

「行動こそが広告」になり得る時代です。

スマホ

本書を読み、

広告は、小手先のライティングテクニックやデザイン力ではない、

製品・サービスそのものであり、行動。 非常に難しい仕事である一方、非常に奥深く価値のある仕事に感じました。

著者は「広告がなくなる日」は、 「広告がより良い未来に貢献する日」

になれたらと言っています。

おわりに

「広告がなくなる日」。

衝撃的なタイトルですが、筆者の広告に対する愛情が奥深いと言うことがわかりました。

広告がなくなる日は訪れません。今後は、広告がより良い未来に貢献する日が来るのですから。

本書は、全ページに刺さる言葉がありますので、書評としてまとめるのが非常に難しかったです。本書には、 まだまだ伝えきれていない素敵な言葉の数々があります。ぜひ、ご一読を。

「VUCA」の時代。

V=「Volatility(変動性)」
U=「Uncertainty(不確実性)」
C=「Complexity(複雑性)」
A=「Ambiguity(曖昧性)」

「私たちの本当の幸せ」は分かりづらいですが、でもみんな幸せになりたいことは間違いありません。

さあ、「経済成長」と言う過去のゲームにしがみつくのは終わりだ!

ゲームを変えよう!人々が人間らしく幸福に暮らせるにはどうしたらいい?精神的な豊かさとは?

なんなんだ〜

(完)

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